遠い呼び声の彼方へ!

スタートアップ企業の経営と未来、世界の今を探る

未来予測レポート」を作成されている株式会社アクアビットの田中社長の講演を伺ってきました。「未来予測レポート」は、2025年までに産業・社会・マーケットがどう変化していくかが書かれたレポートで、大企業を中心に多くの企業で使用されています。私も自動車会社時代の戦略企画をする際に、使用した経験があります。

田中社長は、今後10年の変化の根底に大きなメガ・トレンドがあると仰られました。その中で特に重要な要素は「サステイナビリティ」「ライフ・イノベーション」「クラウド・コンピューティング」とのことです。「サステイナビリティ」は資源の制約から発生する経済上の変化、「ライフ・イノベーション」はゲノム解析・ヘルスケア変革を起点としたライフスタイル・価値観の変化、「クラウド・コンピューティング」はPCやスマートフォンに留まらないデバイスの多様化・ネットワーク上での結合を指します。

田中社長の話を聞いて感じた点は、逆説的ですが、企業経営の視点からの未来予測の困難性です。確かに、未来の姿はある程度は予測出来るのかもしれません。しかしながら、企業経営の視点からすると、未来の姿のみではなく、それがもたらす自らが属する業界構造の変化、変化発生のタイミング、変化を引き起こすプレイヤー・企業、周辺領域への派生的な影響も重要です。そして、それらの予測は非常に困難だと思います。

では、企業経営の視点からの未来予測が困難であるとして、企業経営の視点では何が重要となるのでしょうか? 特に重要となるのは、下記2つの要素だと思います。

第一に、未来予測が困難との前提に立ち、未来の変化に柔軟な組織体制を作ることです。未来を予測して戦略を作るものの、結果的に未来の予測を誤り、大きな損失につながる企業が多いと思います。しかしながら、未来が予測困難であることを前提とするならば、未来の予測制度を上げることよりも、変化する未来に対して柔軟に対応できる組織体制を作ることが重要でしょう。例えば、製造業で言えば、製品ライフサイクルやリードタイムを短くし、不測の事態が発生すれば、それを反映した製品・製造を行なう体制を作ることが考えられます。また、変化は暫時的に発生しますから、その初期サインを捉えて、経営陣にインプットする必要でしょう。特に、初期サインは他の業界で発生することが多いですから、他の業界のことに対しても積極的にアンテナを張り、それを自分の業界に置き換えることが、経営人には求められるのでしょう。

第二に、企業が未来を自ら開拓することです。パーソナル・コンピューティングの父、アラン・ケイの有名な言葉に「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」というものがあります。自ら属する業界に大きな変化が予測されるのであれば、その変化を自ら惹起することが最善の方法と思います。そのための1つの方法が、未来の産業の姿をイメージして、今からそれに必要なコア・コンピタンスを醸成するというアプローチでしょう。そして「未来予測レポート」が示すように、ある程度の幅で未来の姿が予測できるならば、それと企業の現在の強みとを対照させることにより、必要なコア・コンピタンスは比較的明確になると思います。

企業組織では、「未来」はしばしば議論されるテーマの1つでしょう。未来予測とそれを前提とした戦略策定に注力するのみではなく、「未来」に対して柔軟な態度を取ることが、変化の激しい時代に重要なのかもしれません。

フランスの演出家・映画監督にパトリス・シェローという人物がいます。演出家としてのシェロー氏の代表作と言えば、ワーグナーが創設したバイロイト音楽祭100周年を記念する「ニーベルングの指輪」(ワーグナー作曲)の画期的な演出でしょう(参考)。それは、オペラの舞台設定を台本どおりの神話の世界から産業革命期に移し、神々の没落を市民社会の誕生に読み替えた舞台でした。このバイロイト音楽祭以降、オペラは演出家の時代に突入し、舞台設定を現代に移したり、テキストの深層心理に探ったりする舞台が中心となります。
 
シェローのオペラ演出が典型例ですが、西洋の伝統とは現在完了形であると思います。過去の一地点から発生し、それが現在も継続している概念と感じます。事実、オペラやクラシック音楽の演奏において、アーティストが「作品の現代的意義」を語るケースが多いです。

これと対照的なのが、歌舞伎等の日本の伝統芸能だと考えます。日本の伝統芸能においては、上記シェローのようなテキストの自由な解釈を見ることは困難です。例えば、「仮名手本忠臣蔵」で、大星由良助がスーツで登場することはあり得ないでしょう。また、アーティストも「作品の現代的意義」を言うケースが少ないと思います。

この差異はどこから発生するのでしょうか? 先日、先代市川猿之助の弟子である歌舞伎役者の方と話をしました。その時に感じたのは、伝統というものにおいて守るべき対象が異なると言う点です。

その歌舞伎役者の方曰く、「伝統とは本質を守るもの」と仰られました。そして、歌舞伎における本質とは「型」であるとのことです。この歌舞伎の「型」とは、作品や役の解釈によって行われる特定の演技や演出と定義されます。この説明をオペラに当てはめると、オペラの本質とは、楽譜と歌詞というテキストでしょう。

すなわち、歌舞伎のような日本の伝統芸能においては、一定の具体的なジェスチャーそのものが伝統の本質だと考えられます。結果、そのジェスチャーを承継することに価値を置かれますから、基本的にジェスチャーを変えてはいえけないのでしょう。

これに対して、オペラのような西洋の伝統芸能においてはテキストが伝統の本質なのでしょう。すなわち、西洋の伝統芸能においては、ジェスチャーを楽譜やテキストに抽象化する作業が発生し、その抽象化された楽譜・テキストこそが伝統の本質となると思われます。演奏時には、その楽譜・テキストを再度ジェスチャーに変換する作業が発生します。この作業を経るからこそ、楽譜・テキストを変更しない範囲でジェスチャーを変更することは自由であり、現代的な解釈の余地が出ます。

日本は、「型」をそのまま承継すれば、その精神までも継承されると考えているのでしょう。これに対して、西洋は、型を抽象化・テキスト化して、初めて精神の承継が可能と考えているのかもしれません。その背後には、西洋が紛争が多発する他民族地域であったことや、聖書というテキストをベースにした宗教を信じていたことがあるのかもしれません。西洋・日本のどちらが良い・悪いの問題ではないですが、伝統に対する価値観の差異を知っていることで、より作品が楽しめると思います。

この「型」と「テキスト」という西欧と日本の差異は、ビジネスの世界にも当てはまると考えられます。日本企業では、OJTが重視されます。「習うより慣れろ」「仕事は見て学べ」というOJTは、歌舞伎の「型」に近いと感じます。これに対して、西洋の企業は、業務フローや職務要項等の業務内容を抽象化・ルール化し、従業員はそれどおりに業務をすることを好む傾向にあると思います。これもどちらが良い・悪いの問題ではなく、その思想や限界を知っておくことで、適切な経営が出来ると考えます。

今日、バッハ演奏で世界的に評価の高い、鈴木雅明氏(指揮)&バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏で、バッハ作曲「ブランデンブルク協奏曲」全曲のコンサートに行きました。抑制の効いた演奏ですが、その演奏だからこそ聞こえる美しく多彩な響き、そしてバッハの書いた複雑な音の構築物に圧倒されました。

鈴木雅明氏は、ブランデンブルク協奏曲に関して、下記のようにTwitterで書かれています。

バッハは「音楽の父」と言われます。それは、当時存在した音楽語法を集大成し、それを極限まで洗練化・進化させ、後世の作曲家の礎になったからだと思います。「すべて異なった編成・構成・響き」で書かれており、ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲の原型が聞こえるブランデンブルク協奏曲はその顕著な例です。

「当時存在した音楽語法を集大成」という点では、バッハは彼の出身地であるドイツ様式のみならず、イタリア様式やフランス様式を完璧にマスターし、それを巧みに融合した音楽を作曲しています。バッハの作品は国際的と言えるでしょう。

一方でバッハの人生という視点からを見ると、非常にローカルな作曲家と言えます。活躍したエリアはドイツ東部の限定されたたエリアですし、旅行のエピソードもリューベックという北ドイツのみです。当時、情報の流通が限定的でしたから、音楽語法を吸収するためには、その国に旅行するのが一般的でした。また国際的に活躍する音楽家も多数います。例えば、バッハの同年に誕生したヘンデルは、ドイツで産まれイタリアで勉強し、イギリスで活躍しています。ヘンデルの人生はバッハの人生と好対照です。

このようなローカルな作曲家にも関わらずバッハが国際的な作品を生み出した理由は、勉強熱心だったからでしょう。幼少期に兄から閲覧を禁止された楽譜を、密かに持ち出し、6ヶ月間に渡り夜月明かりの下で書き写したエピソードが伝えられています。そして、情報が限定されていたからこそ感受性が研ぎすまされ、他国の情報のエッセンスを咀嚼し、自分の語法と昇華することが出来たのでしょう。

このバッハの中に、グローバル化時代の生き方に対する重要なメッセージがあると考えます。グローバル化のメリットは、国家や地域等の境界を越えることにより、世の中に新しい価値・変化を生み出す点にあると思います。価値・変化を生むためには、バッハのように、海外の情報を自ら積極的に吸収し、そのエッセンスを咀嚼し、自らの体内に取り込むことが重要なのでしょう。その観点からすると、海外に行くことや他国の言語をマスターすることは、1つの手段にしか過ぎないと考えられます。

鈴木雅明氏の言われる「ひとりひとりは、本当に違った音色を奏でるが、それで世界の全体が成り立っている」という考え方は、グローバル化時代に最も重要な考え方だと思います。バッハの音楽は、その重要性を教えてくれます。

バトル・オブ・ブリテン(1940年〜41年)は、第二次世界大戦において、ナチス・ドイツとイギリスで行なわれたイギリス上空での航空戦です。イギリスのバトル・オブ・ブリテンの勝利が、第二次世界大戦の帰趨を決定したと言われています。その勝利の背景には、当時のイギリス首相、ウィンストン・チャーチルの戦略とリーダーシップがあったと評価されます。今回はこのバトル・オブ・ブリテンから得られる意思決定と戦略の教訓を考えたいと思います。

バトル・オブ・ブリテン開始前は、ナチス・ドイツは勢力の絶頂期でした。1939年9月の第二次世界大戦開戦後、ナチス・ドイツは、1940年6月にはオランダ、ベルギー、フランスを降伏に追い込み、ヨーロッパの大半を手中に収めました。その後、その支配を完璧にするために、イギリス侵攻を計画します。ヨーロッパからイギリスに侵攻するためには、ドーバー海峡を陸軍が渡る必要があります。その準備のために、ナチス・ドイツはイギリスの制空権を確保したいと考えて、イギリスとの航空戦バトル・オブ・ブリテンに臨みました。

一方、イギリスはヨーロッパに軍隊を派遣しましたが、ナチス・ドイツに惨敗していました。1940年5月にチャーチル政権が誕生し、1940年7月にバトル・オブ・ブリテンが開始しますが、その時点ではイギリスは危機的状況だったのです。

しかしながら、1940年9月には、イギリスはバトル・オブ・ブリテンに勝利します。この逆転の勝利の背後には、イギリス側に3つの要因があったと考えます。

第一に、チャーチルの戦略意図は一貫していた点が挙げられます。上記のように、ナチス・ドイツの意図は制空権の確保ですから、防御側のイギリスの戦略目的は「制空権の維持」です。そのため、イギリスは、ドイツのフランス侵攻の段階から制空権の維持=防空戦を想定し、防空システムを構築しました。また、戦力節約の観点から、制空権の維持につながる基地の防衛を重視し、都市攻撃に対する防衛を積極的にしませんでした。危機的な状況に陥ったとしても、目的に対して一貫した対応が出来た結果、勝利につながります。

反対に、ナチス・ドイツの戦略目的は、戦争中一貫していません。最初は制空権の確保を目的に基地を積極的に攻撃していましたが、8月後半からロンドン攻撃に切り替えました。その後、制空権確保に繋がる基地攻撃は行なわず、都市攻撃を行ないます。結果的に、これは危機的状況にあったイギリスの基地防衛能力の回復をもたらし、ドイツのバトル・オブ・ブリテンの敗北につながります。

第二に、イギリスがドイツの強みを弱みに変えた点が挙げられます。イギリスは、「制空権の維持」という戦略目的のために、情報の一元的管理と航空機の統合的運用を行う防空システムを作り上げました。これは「核兵器以前の時代で最も成功を収めた軍事的イノベーション」と評価されています。航空戦は一般的に攻撃側が有利です。しかしながら、イギリスはこの防空システムにより、本土上空という有利な空間でナチス・ドイツの攻撃に対して即座に対応出来た結果、攻撃側の優位点を減殺しました。

これは、ドイツが、中部ヨーロッパにおける電撃戦に最適化されていたが故に、海を渡る航空戦には適していなかった点と好対照です。電撃戦とは、戦車を用いて敵の命令中枢を麻痺させる軍事戦略です。その中で空軍は、戦車の進撃を先導する役割と敵の命令中枢を打撃する役割でした。ナチス・ドイツに統合的に航空機を運用するという仕組みは無く、主力の航空機も航続距離が十分では無かったのです。結果、バトル・オブ・ブリテンの局面では、ドイツの強みが弱みへと変化しました。

第三に、チャーチルの卓越したリーダーシップです。上記のような両国のバトル・オブ・ブリテンの戦争目的を適格に見抜いていたのは、チャーチルです。また、自らの姿を積極的に見せることにより国民の士気を鼓舞しました。厳しい現実を率直に語り、その現実を克服して勝利に到るビジョンを語ったのです。さらに、実際に空軍を指揮したのはダウディング空軍戦闘機軍団司令官ですが、チャーチルはダウディングを全面的に信頼していました。防空システム構築や戦術レベルでは彼に一任していました。必要な局面では戦略に関するアドバイスを受け入れています。反面、部下が指示に従って行 動しているかを厳密に確認していました。 
 
以上のチャーチルに導かれたイギリスの勝利の三要因は、企業経営においても重要だと考えます。ホンダの創業期の経営者、藤澤武夫氏は、チャーチルの第二次世界大戦回顧録から企業経営を研究したと書いています。歴史から我々が学ぶべきことは多そうです。

※参考文献:「戦略の本質」(野中郁次郎他)

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